|
|
|
(1) 川原口橋を渡ると、左手に大きな案内標識があります。下の標識には入山に当たってのお願いが記入されています。 |
|
(2) 道路の右手には城址の平面図と説明板があります。 |
|
|
|
(3) 橋から長岩城址を望みます。 |
|
(4) 長岩城橋のたもとに立派な記帳所があります。奥に見えるのが長岩城橋です。 |
|
|
|
(5) 橋の入口には鹿防止網で塞がれています。この網をくぐって橋を渡ります。鹿防止網はいたるところにあります。 |
|
(6) 橋を渡ると又、長岩城址の案内図があります。登山路の再確認をしましょう。 |
|
|
|
(7) 谷の左岸の小径に入り、山肌を登っていきます。 |
|
(8) 二之城戸付近から見事な石塁が現れます。(幅1〜2m、高さ約1m)石塁は往時のまま残されているようです。石塁は約20ケ所に点在し総延長は約700mあるそうです。 |
|
|
|
(9) 二之城戸です。(三之城戸まであります) |
|
(10) 石ころの多い小径を登ります。 |
|
|
|
(11) 本丸の方に登りました。小径は急峻となります。 |
|
(12) 東之台です。 |
|
|
|
(13) ここから山頂まで尾根上に石塁が残されています。 |
|
(14) 登り始めてから約45分で虎口(城門)です。その中が本丸です。 |
|
|
|
(15) 本丸(山頂)は平で広く(直径15〜20m)周囲には檜が林立しております。 |
|
(16) 本丸の平面図です。これほど説明板の多い山も珍しいと思います。 |
|
|
|
(17) 本丸平面図の裏に、安武さん等の山名柱、三角点がありました。 |
|
(18) 四等三角点です。標高は530.7mです。 |
|
|
|
(19) 「長岩城址修復記念碑」で昭和59年3月竣工とありました。 |
|
(20) 帰路は西之台経由で下りました。実際はアップダウンの激しい小径です。 |
|
|
九州では最大規模といわれる、山城「長岩城址」を歩き、中世の山城の構造を知る上で、非常に参考になりました。
尚、国土地理院の地図には山名が「永岩城」となっており、ふもとの小学校名も「永岩小学校」です。
正式名が「永岩」で別名が「長岩」のようです。
この後、檜原山に行きました。 |
(21) 西之台からは堀切を下り、(11)の地点で合流します。 |
|
|