平成22年1月24日 (日曜日) 快晴

大蔵山 (おおぞさん) 543.4m 院内町

北緯 32度28分20度  東経 131度22分24秒

 宇佐別府道路 院内IC(ここを起点とします)を降りて、R387を右折し宇佐方向に進みます。直ぐに新鳥居橋を渡り、左折し北山集落方向に向かいます。約1.3Kmで津房川の牛淵橋を渡ると、左に貴船神社、右にゲートボール場が見えます。更に進んで北山集落を通り抜け、約3.5Kmで小さな二つの橋があり、二つ目の橋を渡ると左側に祠があります。

(1) 祠の直ぐ上の両側が広場です。ここに駐車しました。祠に「安全登山」を誓願して出発です。 (2)  約300mはコンクリートの舗装道路です。
(3) 前述の300mで舗装道路は終わります。T字路は直進します。 (4) 道路脇で椎茸の栽培です。見事なものです。採ってはいけません。撮りました。
(5) 砂利道が続きます。 (6) 「1400m」は山頂からの距離です。当初は100m間隔にあったようですが、かなり欠落しています。
(7) 約20分で林道終了です。ここから右折し、本格的な山道に入ります。RV車なら無理すればここまで、来られると思いますが安全第一です。 (8) 沢の左側の小径を慎重に進みます。
(9) 秋は小径が木々に覆われて、苦労しそうです。 (10) 目印を見落とさないように確認しながら、高度を上げていきます。目印は今回かなり補充しました。
(11) 沢の小径を登り詰めると約70分で「火の用心 500m」距離標(印)に着きます。ここが山頂から南南東に張り出している尾根の峠です。ここを左折します。 (12) 尾根道もかなりの急坂です。(火の用心 100m」距離標付近まで続きます。
(13) 約100分で「北山山神社元宮」の石祠があります。ここまでくれば山頂は後少しです。 (14) 山頂は左側です。
(15) 山頂はかなり広いです。木々が生長して展望は望まれません。 (16) 安武さんその他の山名標柱(板)が出迎えてくれます。珍しくオレンジの山名標識はありません。(見当たりません)歩き始めてから100分少々で着きます。ただし、沢沿いの登山路に草木が激茂していると、非常に歩きづらくなります。
(17) 三等三角点です。543.4mです。 (18) 三角点標石の隣に「番屋跡」の標識あります。
(19) 三角点標石の横に、ぽっかりと大きな穴があります。烽火台(炉)跡だそうです。大きさは直径約5m、深さ約5mの円筒で石積みです。右端に底までトラロープが垂れ下がっていますが、下に降りる勇気はありません。「烽火炉」なら燃焼用空気の通風口があるはずと、捜しました。下のほうに50Cm角程の通風口がありましたが、ほとんど土に埋まっておりうまく撮影出来ませんでした。
 三角点標石の直ぐ隣です。注意標識も、当然ながら安全柵もありません。近づき過ぎて足を踏み外さないようにしましょう。子供さん、夜間登山には特に注意が必要と思います。(夜間に登る人はいない?)
(20) 帰路大蔵山が見送ってくれました。(北山集落より)
 文献によりますと、中津藩が1808(文化5)年に大蔵山の山頂に緊急連絡用の烽火台を築きました。これは九州の各藩に「長崎に異国船が不時入港の時、長崎奉行所の判断で九州諸藩に出兵を求める。この緊急連絡手段として、各藩は烽火台を設置せよ」と命じたためです。
 長崎からの連絡ルートは「長崎→佐賀藩→福岡藩→小倉藩→中津藩→杵築藩→府内藩」で豊後内のルートは「大蔵山(豊前)→妙見山(杵築藩)→高崎山(府内)」だったようです。
 このとき設置された烽火台が大蔵山山頂に残っています。
 思わぬ歴史を勉強しました。
(21) 鳥居橋です。