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(1) 祠の直ぐ上の両側が広場です。ここに駐車しました。祠に「安全登山」を誓願して出発です。 |
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(2) 約300mはコンクリートの舗装道路です。 |
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(3) 前述の300mで舗装道路は終わります。T字路は直進します。 |
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(4) 道路脇で椎茸の栽培です。見事なものです。採ってはいけません。撮りました。 |
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(5) 砂利道が続きます。 |
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(6) 「1400m」は山頂からの距離です。当初は100m間隔にあったようですが、かなり欠落しています。 |
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(7) 約20分で林道終了です。ここから右折し、本格的な山道に入ります。RV車なら無理すればここまで、来られると思いますが安全第一です。 |
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(8) 沢の左側の小径を慎重に進みます。 |
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(9) 秋は小径が木々に覆われて、苦労しそうです。 |
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(10) 目印を見落とさないように確認しながら、高度を上げていきます。目印は今回かなり補充しました。 |
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(11) 沢の小径を登り詰めると約70分で「火の用心 500m」距離標(□印)に着きます。ここが山頂から南南東に張り出している尾根の峠です。ここを左折します。 |
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(12) 尾根道もかなりの急坂です。(「火の用心 100m」距離標付近まで続きます。 |
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(13) 約100分で「北山山神社元宮」の石祠があります。ここまでくれば山頂は後少しです。 |
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(14) 山頂は左側です。 |
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(15) 山頂はかなり広いです。木々が生長して展望は望まれません。 |
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(16) 安武さんその他の山名標柱(板)が出迎えてくれます。珍しくオレンジの山名標識はありません。(見当たりません)歩き始めてから100分少々で着きます。ただし、沢沿いの登山路に草木が激茂していると、非常に歩きづらくなります。 |
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(17) 三等三角点です。543.4mです。 |
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(18) 三角点標石の隣に「番屋跡」の標識あります。 |
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(19) 三角点標石の横に、ぽっかりと大きな穴があります。烽火台(炉)跡だそうです。大きさは直径約5m、深さ約5mの円筒で石積みです。右端に底までトラロープが垂れ下がっていますが、下に降りる勇気はありません。「烽火炉」なら燃焼用空気の通風口があるはずと、捜しました。下のほうに50Cm角程の通風口がありましたが、ほとんど土に埋まっておりうまく撮影出来ませんでした。
三角点標石の直ぐ隣です。注意標識も、当然ながら安全柵もありません。近づき過ぎて足を踏み外さないようにしましょう。子供さん、夜間登山には特に注意が必要と思います。(夜間に登る人はいない?) |
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(20) 帰路大蔵山が見送ってくれました。(北山集落より) |
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文献によりますと、中津藩が1808(文化5)年に大蔵山の山頂に緊急連絡用の烽火台を築きました。これは九州の各藩に「長崎に異国船が不時入港の時、長崎奉行所の判断で九州諸藩に出兵を求める。この緊急連絡手段として、各藩は烽火台を設置せよ」と命じたためです。
長崎からの連絡ルートは「長崎→佐賀藩→福岡藩→小倉藩→中津藩→杵築藩→府内藩」で豊後内のルートは「大蔵山(豊前)→妙見山(杵築藩)→高崎山(府内)」だったようです。
このとき設置された烽火台が大蔵山山頂に残っています。
思わぬ歴史を勉強しました。 |
(21) 鳥居橋です。 |
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